私と猫二匹と旦那

その時の趣味と時々シャウト。

小人閑居してなんとやら

まあ、割と仕事が楽になっちゃって*1
でまあ暇だとろくなこと考えない、そんなろくなことメモ。

  1. 宗教と幸せについて

日本人である私にとって、宗教に価値観を預けるのは負けである。日本人としては一般的な感覚なのではないだろうか。「あの人は、宗教なさってるから」「宗教じみたこと言わないでよ」。宗教は、合法ドラッグと同じ扱いなんじゃないかと思う。
季節の色々が多分厳密には宗教儀式で、それを信奉していると他の宗教入れると濁るっつーか。初詣には行くし、お地蔵さんには手を合わせるし、節分もやるけどそれは感覚としては宗教じゃない。
これはすごく特殊なことで、世界の他の地域で無宗教だということはアナーキストとかテロリストと同じ扱いだ。宗教=モラル&価値観というのが一般的な世界で、熱心な信者ってのとはちょっと違うけど年に一回ぐらいは教会に行くかな(初詣的な)という先進国のやる気が無いキリスト教信者が日本の無宗教と一番近いように思うが、根本的に「あり」と「なし」で違う。
宗教やってる日本人、生理的に無理なタイプといい人だよなあというタイプに分かれる。いい人も無理な人も、幸せそうであることには変わりない。
人はずいぶん長いこと自然発生的に宗教を持っていて、持っていない今の日本の状況の方がおかしいんじゃないかと思ってはいる。でも既存の宗教に私が帰依したいものはない。
自分で新興宗教立ち上げればいいんじゃない?と思った時期もあったが、私にはそれだけのカリスマは無いし、この年までその手のカリスマに出会うことも無かった。
なら、一人宗教やればいいんじゃないかな〜、と最近思うようになった。根のところで、私は神と言うか、オーバーマインドというか、なんか人じゃない上のものが居るのを信じているからだ。でも、その神は、人の事なんか全く気にしてないというのが私の感覚だ。もう感覚があるわけだから、それを生かしてなんか形にすればいいんじゃないかな?
幸せになりたいとかじゃなくて、もっと少ないエネルギーで精神の安定を得たい。

  1. 物語

読書でもマンガでもアニメでも、物語に惑溺する性質だ。
残念なことに速読気味なので、よっぽど長い本じゃないと、長く読書には親しめない。グインサーガとか。気に入って繰り返し読む長めの本はまあなんとか。司馬遼太郎の長いのとか。
対してマンガ(連載中のをちまちま単行本で読む)とかアニメ(放映中のを週1でちまちま楽しむ)は、場合によっては数年、長めのアニメで1年は物語につきあうことになる。
今度エウレカセブンの続編が放映になって、沖縄だからBSとかCSに落ちるのを待つ身なんだけれど、予想外にエモーショナルで驚いた。いや、今日の夜が第一話の放映なのでまだ見てないんだけど、復習〜♪とか言いつつ前シリーズの第一話をネットの無料配信で見たら、その頃のいろんなことと、その物語と共に歩みながら登場人物の感情の動きにシンクロしたその振幅が、見事に蘇った。
面白いなこりゃ。友人たちと同じように、レントンエウレカは私の中で生きているな。物語はちゃんと収束すれば、その「ちゃんと収束した」というまとまりで、生きている人と同じくらい脳の中に何かを残すんだな。BLOOD+とかも、そういう物語。
どんなに面白い物語でも収束しないと「けっ」と思ってしまったその瞬間脳の中で色あせるのが残念。せめて、はっきり章立てしてくれてりゃ、そこまでのは褪せたなりに残せる。イシュトヴァーンが結構ぎりぎりだ。下手にスピンオフとか出ると、ちゃんと完結してるのが褪せたりもする。銀河英雄伝説がそう。
年をとって、体力がいる長い重い物語に食指が動かなくなった。ていうかどこにあるのそんな重厚なの。昴と3月のライオンぐらい?銀の匙も入れていいのか?いや、グインサーガPALMシリーズとは比較にならんよな。黒執事もいぬぼくSSもテルマエ・ロマエもやしもん深夜食堂も大好きだけど、いつかちょっとでもエウレカセブンみたいになるのは、せいぜいもやしもんぐらいじゃないかと思うんだ。
あ、まどマギはかなり瞬発力あったな…。ありすぎて、そして短すぎて、けいおん!ぐらいのとこに収まりそうだけど。
ジャンプ系は物語に破綻が無いのがよいところで、だから心に残らない。何度でも楽しめるが何度も楽しむ程でもない。
サマリー:私の萌えポイントはどこだ

最初の嘘 最後の言葉

最後で台無しにしちゃったので、最近の通勤音楽の泣きポイント。鋼の錬金術師のグリードを思い出すなあ。

*1:多分一般的には重くなってるんだけど、私は紙の仕事は超心なくあっという間に片付けるタイプなので仕事に入って無い。