私と猫二匹と旦那

その時の趣味と時々シャウト。

確かに美味しくはいるではある

3週間ぐらい前*1、ある有名処の漢瓦壺が欲しくなった。
なぜか。
さっぱりお茶が美味しくはいらないからだ。どうやら才能が足りないらしい。
もちろん理科で実験系、温度管理と茶葉はばっちり。沖縄の硬水との相性もいいはずだ。なのに打率5割。二回に一回しか美味しくはいらない。むかつく。
で、明らかにおいしくはいりそうで、飲み終わった後茶葉を捨てるのが簡単そうな漢瓦壺が欲しくなったのだ。
運が悪いことに私は鼻が良く、紅茶は何を淹れても一番よく飲むアールグレイの香りがする体たらく。移り香侮りがたし。
友人が「え、茶壺は確か茶葉ごとに替えるはずよ?」って、その理屈は分かる。すごーーーくわかるけど、沖縄で茶壺売ってるとこまだ見つけてない*2。飽きたらどうするの飽きたら。そうでなくてもコレクター気質なのに、今ストックになってる中国茶台湾茶だけで4種類、これからまた増えるのに!


で、陶器はキリがないので、磁器のものを求めようと。うーむ合理的。飽きたら紅茶も淹れられる。


届いた。即断即行*3、大分私のウツも治っているとみえる。
紅線は青みがかった茶壺に似合うのかよくわからん深緑色、でも見たことないかけ方なのでしばらくはこれで使ってみることにする。
淹れてみた。あらおいしい。素晴らしい。


じゃ、なんでこう文章がぐつぐつしてるかというと、美しくないからである。
元々この形が好きじゃない。口も蓋も形も無骨過ぎ。シンプルでぽってりかシンプルで流麗なのが好みなワタクシには、なんかバランスが変に感じるのだ。口が短いような気がするし、蓋の取っ手は大きいように感じるし、急須本体の取っ手は四角いし。注文する前からそれはわかっていたんだが、理性と機能性で買ったのである。
(今しみじみ見ていて思うんだが、この取っ手がもうちょっと小股が切れあがっていて、蓋が直径で2mm小さかったら無骨なりに美しいんじゃないかと思う。茶海にひっくり返して乗っけるのにも納まりがいいんじゃないかと思う。茶のプロがこさえたんだからこの形にも意味はあるのだろうが)
(茶盤に乗せたらバランスが取れる、とかもあるのかも。今は茶船代わりの皿の上だし)


機能は申し分なし。開口部が大きくて磁器。大きさもちょうどいい。
機能性に負けてきっとこれも美しく見える日が来るんだと思うんだけど、今この瞬間は美しく見えないことをメモしておこうと思う。
どうせ三日ぐらいで「なんかかわいく見えてきた」とか書くんだよ、ワタシ。

*1:正確に言えばネトオク始める直前

*2:正確には、飲茶屋で一応売ってたが気にいったのが無かった

*3:ホントは毎日確認して残量を見ていて、ぽちぽち売れ始めたので待つのを止めた。